きれ凧の糸かかりけり梅の枝
水打つて静かな家や夏やなぎ
木の間より釣床見ゆる青葉かな
よき人の机によりて昼ねかな
露多き萩の小家や町はづれ
寒菊や鶏を呼ぶ畑のすみ
欄干に若葉のせまる二階かな
病いへずうつうつとして春くるる
行春や母が遺愛の筑紫琴
[一高時代]
明治三五(一九〇二)年、放哉は上京して第一高等学校(一高)に入学。一年先輩にのちに俳句の上での師匠格となる荻原井泉水がいた。放哉は井泉水主宰の俳句のサークルに加入したが、熱心ではなかったという。
しぐるヽや残菊白き傘の下
峠路や時雨晴れたり馬の声
酒のまぬ身は葛水のつめたさよ
[大学時代]
明治三八(一九〇五)年六月に第一高等学校を卒業した放哉は、同年九月、東京帝国大学法学部に入学。千駄木で自炊生活をした。この頃には『ホトトギス』や『国民新聞』の俳句欄にしきりに作品を投稿していたという。
一斉に海に吹かるる芒かな
提灯が向ふから来る夜霧哉
提灯が火事にとぶ也河岸の霧
郷を去る一里朝霧はれにけり
鏡屋の鏡に今朝の秋立ちぬ
木犀に人を思ひて徘徊す
白粉のとく澄み行くや秋の水
夕ぐれや短冊を吹く萩の風
夕暮を綿吹きちぎる野分哉
行く秋を人なつかしむ灯哉
寝て聞けば遠き昔を鳴く蚊かな
本堂に上る土足や秋の風
七つ池左右に見てゆく花野かな
風邪に居て障子の内の小春かな
いぬころの道忘れたる冬田かな
鶏頭や紺屋の庭に紅久し
別れ来て淋しさに折る野菊かな
山茶花やいぬころ死んで庭淋し
煮凝りの鍋を鳴らして侘びつくす
紫陽花の花青がちや百日紅
大木にかくれて雪の地蔵かな
あの僧があの庵へ去ぬ冬田かな
一つ家の窓明いて居る冬田かな
すき腹を鳴いて蚊がでるあくび哉
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