が、不意に時節到来、今日お互に緊張し切迫した気持で、散歩しているとき、雷雨に逢い、平調を失った――あるいは平調を失う口実を得た彼は、思わず新子の顔を腕の中に抱いてしまったのである。 にわかに、新子を愛人と云ってもよいほど、身近に獲てしまった彼は、自ら非常な覚悟をしなければならなかった。 (このことで、新子を絶対に不幸にしてはいけない。どんな犠牲を払っても、あの人を幸福に!)と、彼はそう思った。彼が以前読んだ英国の小説に(恋愛はしてもいい。しかし、そのために相手を不幸にするな。それが、恋愛をする場合の男子の心得である)と説いたのがあった。 妻には、絶対に悟られないように、そうして新子さんを出来るだけ、幸福にするように、こうなった以上、それが自分の義務だと準之助氏は考えていた。 浴室から上って、セルを出させて着、食堂へ来てみると、幼い兄妹は、食器棚の後に付いている大きな鏡に向って、何か面白そうに騒いでいる。 その子供達の姿を見ながら、自分とああなった以上、新子が自分の家族達と同じ屋根の下に住むことは、あの人にとって不愉快ではないかしら、よき愛人を獲たことは、子供達のよき家庭教師を失うことになるのではないかしら、……自分は結局子供達のものを奪ったことになるかしらなどと、思いはしきりに新子の上に置かれてあった。 と、扉が開いて、夫人がはいって来て、席に着いた。見ると、彼女は外出着を着て、美しく化粧している。古本 買取