翌日Tが来た話を書いて速達をTの妻に出した。 八月十三日、一月おくれのおぼんで宿屋では亡くなつた仏たちの魂まつりをする飾りつけをした。私も自分の部屋の西の壁に添つた棚の上にTの写真をかざり、花とお茶を供へた。階下の部屋のH老夫人からお手製の菊の花のお菓子を贈られたので、これも供へた。じやがいもで造つた白とうす紅の大輪の菊がうつくしかつた。その菊は、ほとけもさぞ喜ぶだらうと思はれる美しい色だつた。 午前中Kが新潟から帰つて来た。白米、小豆、みそ、みそ漬といろんな土産を貰つて来たので、その晩彼女は小豆御飯をたいて仏に供へ私たちも頂いた。Tの来た話もして、何の用だらうかと話し合つた。 八月十五日、けふ午前中に天皇陛下御自身で一大事の御放送をなさるから、奥の広間のラヂオの前にあつまるやうにと言つて来た。日本がポツダム宣言を受け入れて降服したのだといふことが、そのラジオの陛下のお言葉よりも早く私たちに伝つて来てゐた。その時私は眼がひらかれたやうにTに向つて呼びかけた。「これでせう? この知らせを持つて、もう心配するなと言ひに来たのでせう?」心でさう言ふと私は涙がはらはら流れ出した。私の身にとつての一大事、全日本人にとつての一大事、それを彼の霊も強く感じたので、早く知らせて喜ばせようと思つて、平和な時のやうな静かな声で私に呼びかけたのだつた。「ありがとう。あなたも安心して下さい。私たちの国はどうにか生き残るでせう。」私は棚の前に坐つてお香をたいた。Tの写真はわかい派手な顔をしてゐたが、私の心に映るのはそれより四五年もふけて渋い顔に微笑してゐる彼だつた。「戦争さへおしまひになれば、あたしもどうにか生きて行けるでせう。見てゐてね」彼の眼と私の心の眼がぴつたり合つて霊が握手したやうに思つた。 薬剤師募集サイト 薬剤師クラブ