何かしら斯様な感慨が始終胸の中を往来した。私は或時舎生に、親のことを思へば勉強せずにはをられん、とつい興奮を口走つて、忽ちそれが通学生の耳に伝はり、朝の登校の出合がしら「やあ、お早う」といふ挨拶代りに誰からも「おい、親のことを思へば、か」と揶揄されても、別に極り悪くは思はなかつた。夜の十時の消燈ラッパの音と共に電燈が消え皆が寝しづまるのを待ち私は便所の入口の燭光の少い電燈の下で教科書を開いた。それも直ぐ評判になつて、変テケレンな奴だといふ風評も知らずに、口々に褒めてもらへるものとばかり思ひ込み、この卑しい見栄の勉強のための勉強を、それに眠り不足で鼻血の出ることをも勉強家のせゐに帰して、内心で誇つてゐた。冷水摩擦が奨励されると毎朝衆に先んじて真つ裸になり釣瓶の水を頭から浴びて見せる空勇気を自慢にした。 西寮十二室といふ私共の室には、新入生は県会議員の息子と三等郵便局長の息子と私との三人で、それに二年生の室長がゐたが、県会議員や郵便局長が立派な洋服姿で腕車を乗り着けて来て室長に菓子箱などの贈物をするので、室長は二人を可愛がり私を疎んじてゐた。片輪といふ程目立たなくも室長は軽いセムシで、二六時中蒼白い顔の眉を逆立てて下を向いて黙つてゐた。高級デリヘル 銀座