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[東京時代]

 明治四二(一九〇九)年、放哉は帝大卒業とともに日本通信社に就職したが、わずか一か月で退職。ついで、翌々明治四四(一九一一)年、東洋生命保険会社に入社。同じ頃に鳥取市・坂根寿の次女馨と結婚。


ひねもす曇り浪音の力かな

(ひねもす曇り居り浪音の力かな)


護岸荒るる波に乏しくなりし花

(護岸あるる波に乏しくなりし花)


海が明け居り窓一つ開かれたり


あかつきの木木をぬらして過ぎし雨

(あかつきの木々をぬらして過ぎし雨)


灯をともし来る女の瞳


海は黒く眠りをり宿につきたり


窓あけて居る朝の女にしじみ売


つめたく咲き出でし花のその影


休め田に星うつる夜の暖かさ


若葉の匂の中焼場につきたり

(若葉の香ひの中焼場につきたり)


今日一日の終りの鐘をききつつあるく


青服の人等帰る日が落ちた町


妻が留守の障子ぽっとり暮れたり


雪は晴れたる小供等の声に日が当る


小供等さけび居り夕日に押合へる家


芽ぐめるもの見てありく土の匂

(芽ぐめるもの見てありく土の香ひ)


日まはりこちら向く夕べの机となれり


口笛吹かるる朝の森の青さは


[京城・長春時代]

 東洋生命保険会社に入社した放哉は会社員の生活になじめず、大正一〇(一九二一)年に退社。翌年、朝鮮火災海上保険会社に職を得て、京城に赴任。しかし、禁酒の誓いを守れずに約1年で退社、旧満州に移る。


土くれのやうに雀居り青草もなし

(土くれのやうに雀居り青草も無し)


風の中走り来て手の中のあつい銭


稲がかけてある野面に人をさがせども


何もかも死に尽したる野面にて我が足音


海苔をあぶりては東京遠く来た顔ばかり


長雨あまる小窓で杏落つるばかり

(長雨あきる小窓であんず落つるばかり)


昼火事の煙遠くへ冬木つらなる


かぎりなく煙吐き散らし風やまぬ煙突


犬が覗いて行く垣根にて何事もない昼


小供等たくさん連れて海渡る女よ


[一燈園時代]

 朝鮮~旧満州での生活の間に肋膜炎を病んだ放哉は、大正一二(一九二三)年秋に帰国。一時長崎に住んでのち、妻馨とも離縁。西田天香の主宰する京都・一燈園に身を寄せ、読経と托鉢、労働奉仕の日々に入った。

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