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 午前、御放送があつて後、みんなぼんやりしてゐた。泣く人もあり溜息をする人もあり、これからどうするの? と言ふ人もあつたが、興奮する人はだれもゐなかつた。午後Tの妻から速達の返事が来た。すこしの時間のちがひで御放送より遅れて来たけれど、前日に彼女が知らせてくれた手紙で、彼女の兄が内閣に近い官吏なので、この降服の話は三四日前に彼女にうすうす聞えてゐたらしく「もう心配なさらないでも大丈夫ですと申上げようと思つて、それでもまだ言つては悪いのかと、ぐづぐづして遅くなりました。Tはお母さんにそれをお話に行つたのですね。どうぞ御安心なさつて。もう火は降つて来ません」と書いてあつた。彼女はTがまぼろしに来たことを少しも不思議には思はないらしかつた。その夕方、宿の主人と私は茶の間でお茶を飲んだが、しづかな、がつかりした気持だつた。  東京にもう一度住めるやうになるかどうかもはつきり分らず八月と九月を過し、十月になつて私はいよいよ帰京する気もちになつた。新潟の従弟が軽井沢まで見舞に来てくれた。彼の親切に私はしみじみ礼を言つて、もし東京に住みにくいことがあれば今度こそは越後へまゐりますから、どうぞよろしくと頼んだ。 病院薬剤師 求人 大阪厚生年金病院 | 日本医療機能評価機構認定病院 | 地域医療支援病院