もうもどしてはもらえないのではあるまいかという恐怖があまりに大きかったからであるが、その恐怖は、思いすごしだと非常によくわかっていたが、彼の心をしめつけるものだった。もちろんこの場合には、うまい口実を設けることはほとんど不可能だった。Kのイタリア語の知識はたいして多くなかったが、ともかく役にたつ程度だった。しかし決定的なことは、Kが前からいくらか美術史の知識を持っているということだった。そのことは、Kがしばらく、もっともただ商売上の理由からだけだったのだが、この町の美術遺跡保存会のメンバーであったために、きわめて誇大に銀行に知れわたっていたのだった。ところがさて、噂に聞くとそのイタリア人は美術愛好家だということであり、それゆえ、Kがその案内役に選ばれたのは当然のことであった。 雨の激しい、荒れ模様の朝だったけれども、Kはこれから控えている一日のことに腹をたてながら、七時にはすでに事務室に行ったが、イタリア人の訪問にかかりきりにさせられるまえに少なくともいくらかの仕事を片づけるためであった。少し準備しておこうとして、半夜をイタリア語の文法の勉強に過したので、非常に疲れていた。最近ではあまり頻繁に窓ぎわにすわりすぎる慣習になっていたが、その窓のほうが今朝も机よりも彼をいっそう誘うのだったけれども、そんな気持に抗して仕事するために腰をおろした。ところが残念なことにちょうど小使がはいってきて、業務主任さんはもういらっしていないか見てくるように、支店長さんが自分をよこしたのだ、と言った。もしいらっしゃるなら、恐縮だが応接室に来ていただきたい、イタリア人の方はもう来ておられる、ということだった。 歯科医師国家試験対策 予備校 歯科医師国家試験の概要|生活施設検索